本ページはプロモーションが含まれています。
PR

中日クラウンズの歴史と歴代優勝者は?賞金と開催コースについても!

中日クラウンズは1966年に第1回大会が開催されてから、毎年多くのトップ選手が出場してきた歴史あるトーナメントです。

歴代優勝者には、かつて”クラウンズ男”と呼ばれた有名選手や海外のメジャー・チャンピオンなど、錚々たる名前が並び、開催コースの名古屋ゴルフ俱楽部・和合コースは難攻不落の名コースとして知られています。

賞金もかつては国内最高の賞金総額・優勝賞金の大会だったことから、春のビッグ・トーナメントとして位置づけられてきました。

今回は、中日クラウンズの歴史と歴代優勝者、賞金、開催コースなどについて見ていきます。

スポンサーリンク

中日クラウンズの歴史と歴代優勝者

中日クラウンズは毎年、毎年4月末か5月上旬に開催され、その歴史は古く、日本プロゴルフ選手権、日本オープンに次ぐ3番目に古いトーナメントです。

日本プロゴルフ選手権と日本オープンは公式競技ですから、中日クラウンズは民間としては最も古い歴史あるトーナメントということになります。

テレビの実況では”歴史と伝統”のキャッチフレーズが加わり、長い歴史の中では数多くの名場面があり、また名勝負が演じられてきました。

最多優勝5回と連続優勝の3連覇はいずれも青木功プロと尾崎将司プロが記録し、歴代優勝者の中でも”クラウンズ男”の異名を取りました。

石川遼選手は2010年の第51回大会で、”58”という男子国内ツアー新記録で当時の世界記録を達成し、最年少優勝を飾っています。

最多優勝回数:5回
青木功(1973・1975・1978・1979・1980年)
尾崎将司(1987・1992・1995・1996・1997年)

連続優勝記録:3連覇
青木功(1978~1980年)
尾崎将司(1995~1997年)

最年長優勝:50歳3か月
尾崎将司(1997年)

最年少優勝:18歳7か月
石川遼(2010年)

中日クラウンズの歴代優勝者

中日クラウンズの歴代優勝者
2023年(第63回)岩田寛(日本)
2022年(第62回)稲森佑貴(日本)
2021年(第61回)岩田寛(日本)
2020年 新型コロナウイルスの影響により中止
2019年(第60回)宮本勝昌(日本)
2018年(第59回)Y・E・ヤン(韓国)
2017年(第58回)宮里優作(日本)
2016年(第57回)金庚泰(韓国)※片岡大育とのプレーオフ
2015年(第56回)I・J・ジャン(韓国)
2014年(第55回)金亨成(韓国)
2013年(第54回)松村道央(日本)
2012年(第53回)I・J・ジャン(韓国)
2011年(第52回)ブレンダン・ジョーンズ(オーストラリア)※I・J・ジャンとのプレーオフ
2010年(第51回)石川遼(日本)
2009年(第50回)平塚哲二(日本)
2008年(第49回)近藤智弘(日本)※藤田寛之とのプレーオフ
2007年(第48回)宮瀬博文(日本)※谷口徹とのプレーオフ
2006年(第47回)片山晋呉(日本)
2005年(第46回)尾崎直道(日本)※スティーヴン・コンラン(オーストラリア)とのプレーオフ
2004年(第45回)片山晋呉(日本)
2003年(第44回)星野英正(日本)
2002年(第43回)ジャスティン・ローズ(イングランド)
2001年(第42回)ダレン・クラーク(北アイルランド)
2000年(第41回)田中秀道(日本)
1999年(第40回)今野康晴(日本)
1998年(第39回)デービス・ラブIII(アメリカ)
1997年(第38回)尾崎将司(日本)
1996年(第37回)尾崎将司(日本)
1995年(第36回)尾崎将司(日本)
1994年(第35回)ロジャー・マッカイ(オーストラリア)
1993年(第34回)ピーター・シニア(オーストラリア)
1992年(第33回)尾崎将司(日本)
1991年(第32回)セベ・バレステロス(スペイン)
1990年(第31回)須貝昇(日本)※スティーヴ・ペイト(アメリカ)とのプレーオフ
1989年(第30回)グレッグ・ノーマン(オーストラリア)
1988年(第29回)スコット・シンプソン(アメリカ)
1987年(第28回)尾崎将司(日本)
1986年(第27回)デビッド・イシイ(アメリカ)
1985年(第26回)海老原清治(日本)
1984年(第25回)スコット・シンプソン(アメリカ)※青木功とのプレーオフ
1983年(第24回)陳志明(中国)※とのプレーオフ
1982年(第23回)ゲーリー・ホルバーグ(アメリカ)
1981年(第22回)グラハム・マーシュ(オーストラリア)
1980年(第21回)青木功(日本)
1979年(第20回)青木功(日本)
1978年(第19回)青木功(日本)
1977年(第18回)グラハム・マーシュ(オーストラリア)
1976年(第17回)デビッド・グラハム(オーストラリア)
1975年(第16回)青木功(日本)
1974年(第15回)村上隆(日本)
1973年(第14回)青木功(日本)
1972年(第13回)ピーター・トムソン(オーストラリア)
1971年(第12回)呂良煥(中国)
1970年(第11回)安田春雄(日本)
1969年(第10回)ピーター・トムソン(オーストラリア)※橘田規とのプレーオフ
1968年(第9回)安田春雄(日本)※鈴村久とのプレーオフ
1967年(第8回)謝永郁(中国)
1966年(第7回)内田繁(日本)
1965年(第6回)橘田規(日本)
1964年(第5回)杉原輝雄(日本)
1963年(第4回)細石憲二(日本)
1962年(第3回)橘田規(日本)
1961年(第2回)石井朝夫(日本)※オーヴィル・ムーディー(アメリカ)とのプレーオフ
1960年(第1回)中村寅吉(日本)

スポンサーリンク

中日クラウンズの賞金

続いて、中日クラウンズの賞金について見ていきましょう。

中日クラウンズはかつては国内最高の賞金総額・優勝賞金の大会として君臨し、「日本のマスターズ」あるいは「東洋のマスターズ」と呼ばれていた時代もありました。

賞金は2002年には賞金総額1億2,000万円・優勝賞金2,400万円まで増額となり、2019年まで維持されてきました。

しかし、2020年は新型コロナウイルスの影響により中止、さらに2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため無観客試合となり、賞金は賞金総額1億円、優勝賞金2,000万円に減額になりました。

2022年以降は増額され、2022年は賞金総額1億円・優勝賞金2,000万円、2023年には賞金総額1億1,000万円・優勝賞金2,200万円まで戻って現在に至ります。

なお、優勝者には賞金の他、チャンピオンブレザーとクラウンズの王冠トロフィー、さらに副賞としてスポンサーのトヨタ自動車からクラウンが贈られます。

また、ホールインワン賞(13・17番ホール)としてやはりスポンサーのトヨタ自動車から車が贈られます。

中日クラウンズの開催コース~名古屋ゴルフ俱楽部・和合コース

中日クラウンズの開催コースは、かつては愛知カンツリー俱楽部、三好カントリー俱楽部、そして名古屋ゴルフ俱楽部・和合コースの3コースをローテーションしてきましたが、1966年の第7回大会からは名古屋ゴルフ俱楽部・和合コースに固定されています。

愛知県の名門コースとして有名な名古屋ゴルフ俱楽部・和合コースですが、一般的に名古屋ゴルフ俱楽部というよりは単に”和合”と呼ばれることが多いです。

設計は大谷光明が手掛けましたが、1955年から1957年にかけて上田治氏がコース改修を行っています。

名古屋ゴルフ俱楽部・和合コースは現代のゴルフコースとしては距離が短いといえますが、日本のコース独特の砲台グリーンは小さくて傾斜があるため乗せづらく、スコアを出しづらい難攻不落の屈指の名門コースとして知られています。

毎年、中日クラウンズが開催されている他、これまでに日本プロゴルフ選手権 (1936・1956年) 、日本オープン(1989年)、日本女子オープン(2011年)のメジャー大会も開催されています。

名古屋ゴルフ俱楽部・和合コースの概要は、以下の通りです。

名古屋ゴルフ俱楽部・和合コースの概要
開場
1929年9月15日

設計
大谷光明

コース
18ホール(6,557ヤード・パー70)

JGAコースレート
72.6(Cグリーン)
71.8(Nグリーン)
※ブルーティ

所在地
〒470-0153 愛知県愛知郡東郷町大字和合字ドンドロ35-1

公式サイト
名古屋ゴルフ俱楽部・和合コース

※2021年4月の情報です。

中日クラウンズの歴史と歴代優勝者~まとめ

今回は、中日クラウンズの歴史と歴代優勝者、賞金、開催コースなどについて見てきました。

中日クラウンズの歴史は古く民間としては最も古いトーナメントで、歴代優勝者には、かつて”クラウンズ男”と呼ばれた有名選手や海外のメジャー・チャンピオンなど、錚々たる名前が並びます。

賞金もかつては国内最高の賞金総額・優勝賞金を誇りましたが、2021・2022年は新型コロナウイルスの影響で賞金は減額となり、2024年時点での賞金は賞金総額1億1,000万円、優勝賞金2,200万円となっています。

開催コースの名古屋ゴルフ俱楽部・和合コースは距離は短いものの、傾斜のある小さい砲台グリーンは乗せづらく難攻不落の屈指の名門コースとして知られています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメント